割烹山映の歴史

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料理屋として鹿児島に根ざし、時代と共に歩み続けて80余年

昭和8年の創業から現在に至るまで、料理屋として商いを続けてこれましたのも、ひとえに今までご縁あった方すべての皆様のおかげであると深く深く感謝致しております。
創業者である新村勝納は、いわば包丁一本で料理人としての道を切り開き、天皇陛下の料理番を務めるまで登りつめました。その料理人としての人生は良くも悪くも賑やかなものでした。人生を料理にかけた先代が築いた店を現在の店主 新村健治が受け継ぎ、先代の料理哲学を伝承し、皆様に日々真心こもった料理をお出ししております。
料理屋は、お客様それぞれが主役となる舞台です。今までたくさんのドラマが生まれてきました。そして、いまも毎日がドラマです。料理やサービスを通して、その主役であるお客様にどれだけ満足していただけるか。それが私共料理屋としての務めではないかと考えます。時代は変われど、変わらぬもの。それは、「真心」「思いやり」「笑顔」。これらをずっと大切に今日もご来店くださる皆様をお迎えできることに心より感謝申し上げます。
泣きと笑いと人情に満ち溢れた歴史を持つ山映を自ら愛し、店主をはじめスタッフ一同、これからも日々精進しさらなる歴史を刻んでいけたらと思っております。

山映のあゆみ

昭和8年(1933年) 大阪「はりはん本店」や「つる家」での修業から帰省。
7月に天文館にサンヱーを開店。店名「サンヱー」とは、「料理」「酒」「サービス」の三つとも「ヱー(良い)」ということでつけた名前。
大阪時代の経験から美人がいないと店は繁盛しないと、素人の美人ばかりを雇う。
船を買い、毎朝自ら錦江湾へ出て魚を釣る。3時間で470匹の鯛を釣ったのが最高記録である。新鮮な刺身と三つの「ヱー」そして美人の仲居が評判となり繁盛店となる。
昭和20年(1945年)
9月
空襲により跡形もなく消えてしまった戦後のスタートは、西鹿児島駅(現:鹿児島中央駅)前にバラックでつくったサンヱー。イワシとカライモのメニューからの再開だった。終戦直後の治安の悪い中、業者などの避難場所となり、店は大繁盛。
昭和22年(1947年)
6月
呉服町に鹿児島初の宴会場をつくり、政財界の社交場となる。
昭和24年(1949年)
6月
天皇陛下ご巡幸の際の料理番となる。
昭和31年(1956年)
8月
当時観光地として大賑わいであった吹上町のさつま湖畔でサンヱーを開店。
昭和33年(1958年)
4月
天皇皇后両陛下ご巡幸の際、再び料理番となる。
昭和39年(1964年) 先代新村勝納が九州調理士栄典局名誉総裁厚生大臣小林毅より名誉包位を受く。
昭和42年(1967年)
4月
照国町にサンヱーを移転。
昭和60年(1985年) 現在の城山町へ移転。店名を「サンヱー」から「山映」とし、現在に至る。

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